福田恆存思想の〈かたち〉
イロニー・演戯・言葉

著者 | 浜崎 洋介 著 |
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ジャンル | 文学・エッセイ |
出版年月日 | 2011/11/22 |
ISBN | 9784788512634 |
判型・ページ数 | 4-6・428ページ |
定価 | 本体3,900円+税 |
在庫 | 在庫あり |
内容説明
目次
「保守反動」とみなされた福田恆存。その思想の一貫性と現代性を,彼のテキストを丹念に辿りながら「歩き方」の問題として甦らせた,気鋭の力作評論。「これほど見事な福田恆存論を,私は知らない。……読みながら,何度も胸が震えた」(朝日書評)と評される。
福田恆存 思想の〈かたち〉――目次
序 章 福田恆存と「保守」
? 戦後史における福田恆存評価――一九八〇年代まで
? 江藤淳からの距離――福田恆存の「保守」派批判
? 三島由紀夫からの距離――福田恆存の二元論
? 「国家」からの距離――福田恆存の清水幾太郎批判
? 本書の立場――その構成・方法・課題
第一章 福田恆存と「近代」――原点としての「イロニー」
? 戦後の出発――「政治と文学」論争を中心として
? 保田與重郎と福田恆存――昭和初期の「心情」
? 「横光利一と「作家の秘密」」から「嘉村礒多」へ――「芸術家」の位置
? 「芥川龍之介論(序説)」について――「比喩」の造形
? 「芥川龍之介?」と「道化の文学――太宰治論」――「風景」の破砕
? 「純情」からの訣別――「芸術」に向けて
第二章 福田恆存と「芸術」――転回点としての「演戯」
? 〈近代=小説〉の閉塞――福田恆存の課題
? D・H・ロレンスと福田恆存(?)――『黙示録論』について
? D・H・ロレンスと福田恆存(?)――チャタレイ裁判まで
? 『否定の精神』から『芸術とはなにか』へ――昭和二十五年の〈飛躍〉
? 「平和論」論争と『人間・この劇的なるもの』――「全体」とは何か
? 「全体」から「言葉」へ――過去への視線
第三章 福田恆存と「国語」――決着点としての「言葉」
? 「国語改革」というイデオロギー――国語国字論争まで
? 「現代かなづかい」論争――福田恆存の金田一京助批判
? 福田恆存と時枝誠記――「言語過程説」をめぐって
? 『私の国語教室』と『批評家の手帖』――昭和三十四年の言語論
? 六〇年安保闘争と福田恆存――「見とほさない」ということ
? 「まねび」と「演戯」――小林秀雄と福田恆存の「言葉」
終 章 福田恆存という人間――総括と感想を兼ねて
? 保守思想と福田恆存
? 福田恆存という人間
注
あとがき
事項索引
人名索引
装幀=難波園子
序 章 福田恆存と「保守」
? 戦後史における福田恆存評価――一九八〇年代まで
? 江藤淳からの距離――福田恆存の「保守」派批判
? 三島由紀夫からの距離――福田恆存の二元論
? 「国家」からの距離――福田恆存の清水幾太郎批判
? 本書の立場――その構成・方法・課題
第一章 福田恆存と「近代」――原点としての「イロニー」
? 戦後の出発――「政治と文学」論争を中心として
? 保田與重郎と福田恆存――昭和初期の「心情」
? 「横光利一と「作家の秘密」」から「嘉村礒多」へ――「芸術家」の位置
? 「芥川龍之介論(序説)」について――「比喩」の造形
? 「芥川龍之介?」と「道化の文学――太宰治論」――「風景」の破砕
? 「純情」からの訣別――「芸術」に向けて
第二章 福田恆存と「芸術」――転回点としての「演戯」
? 〈近代=小説〉の閉塞――福田恆存の課題
? D・H・ロレンスと福田恆存(?)――『黙示録論』について
? D・H・ロレンスと福田恆存(?)――チャタレイ裁判まで
? 『否定の精神』から『芸術とはなにか』へ――昭和二十五年の〈飛躍〉
? 「平和論」論争と『人間・この劇的なるもの』――「全体」とは何か
? 「全体」から「言葉」へ――過去への視線
第三章 福田恆存と「国語」――決着点としての「言葉」
? 「国語改革」というイデオロギー――国語国字論争まで
? 「現代かなづかい」論争――福田恆存の金田一京助批判
? 福田恆存と時枝誠記――「言語過程説」をめぐって
? 『私の国語教室』と『批評家の手帖』――昭和三十四年の言語論
? 六〇年安保闘争と福田恆存――「見とほさない」ということ
? 「まねび」と「演戯」――小林秀雄と福田恆存の「言葉」
終 章 福田恆存という人間――総括と感想を兼ねて
? 保守思想と福田恆存
? 福田恆存という人間
注
あとがき
事項索引
人名索引
装幀=難波園子